『JISA Digital Masters Forum 2017』でJPSSCが浦田理恵さんの講演をプロデュース

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『JISA Digital Masters Forum 2017』でJPSSCが浦田理恵さんの講演をプロデュース

JISAの年次イベントである『JDMF2017』でパラリンピアンの講演をプロデュースしました。
ロンドンパラリンピックのゴールボールで金メダルを獲得された浦田理恵さん。金メダル獲得までの道のりを通じて、「夢への挑戦」「一歩踏み出すことの勇気」について語っていただきました。
笑顔で、常に前を向いて生きる浦田さんの姿が、眩しすぎるほど輝いていました。そんな浦田さんのご講演内容を、少しだけ紹介したいと思います。

是非、多くの方に、ゴールボールに興味を持っていただき、浦田さんを一緒に応援して頂きたいです。 

講演テーマ:『夢への挑戦』

ロンドンパラリンピック金メダリスト 浦田理恵さん 

相手のことを思いやる心とコミュニケーション 

ゴールボールという競技を始めて知ったという方が沢山いらっしゃると思います。

3年後に東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、ゴールボールはパラリンピックの正式種目で、日本が金メダルを取ったことがある競技でもあります。
競技は、バレーボールと同じくらいのコートの中で1チーム3人で行います。

選手はアイシェードという目隠しを着け、ボールに入っている鈴の音を頼りに、相手選手の位置やボールの位置、スピードを認識するのです。

ボールの大きさはバスケットボール程ですが、重さは1.25Kg。

床に落とすと、「ズドン」という音がするくらい重く堅いです。

ゴールボールの試合をする上で、大事なポイントが2つあります。

1つ目は、相手を思いやる心パスを出す方は、自分が出したいパスを出すのではありません。相手が取りやすい、相手のことを一番に考えたパスを出す必要があります。まずは相手のことを一番に考える。この思いやりの心が大事なのです。
2つ目はコミュニケーションです。

お互いに見えませんので、仲間がどこにいるか確認し合うということが大事です。だから、パスをもらう側にも準備が必要です。手を叩きながら「はいはい!私ここにいるよ、パスちょうだい!」というように、自分から声を出すのです。その声の掛け合いがなければゴールボールの試合は成り立ちません。
「思いやりとコミュニケーション」これがゴールボールにとっては、すごく大事なポイントです。

でも、この2つのポイントは、私たちの日常生活や仕事などの様々な場面で必要なことだと思います。私自身もまだまだいろんな失敗をしながらこの2つのことを学び続けているのです。



 

できない事を数えるより、できることを増やす 

私は高校生まで熊本に住んでおり、普通に目も見えていました。

小学校の先生になりたいという夢を叶えるために、高校卒業後は福岡で一人暮らしをしながら勉強をしていましたが、そんな矢先に目の病気を発症したのです。

私の目の病気は「網膜色素変性症」といいます。だんだん視力が落ちていって、どんどん見える視野が狭くなっていき、いずれは失明してしまうという進行性の病気です。

二十歳の頃でした。授業中、一番前の席でも黒板の字がだんだん見えなくなりました。でも、私はその当時、見えなくなっていることを友人や学校の先生に正直に伝えることができず、約1年半、引きこもりになってしまった時期がありました。

一番辛かったのは、最も大事な人に自分の目のことを正直に伝えることができなかったこと。それは熊本にいる両親です。「見えない」なんて言ったら、両親は私に失望するんじゃないか。

「死のう」と思った事もありましたが、そんなどん底にいた私にも少しだけの勇気が残っていました。「死ぬぐらいやったら、お父さんとお母さんにはちゃんと言おう」

22歳のお正月、実家に帰って自分の目のことを正直に伝えたのです。

「実家に帰っておいで」と言われるだろうと思っていました。でも、両親の言葉は違いました「福岡で自分のできること見つけなさい。やれるようになりなさい」って。

私の福岡での自立を応援してくれたんです。私も自分の身の回りのことぐらいは自分でできるようにならないと駄目だと自覚しました。家族のおかげで私は引きこもりから脱出することができたのです。

私は、視覚障害者の訓練学校に行くようになりましたが、ある日、指導員の先生からこう言われました。

「理恵ちゃん、目が見えなくなったことで出来なくなったことを数えるより、まだできることを数えてごらん。できることを増やしていったら、楽しいよ」って。

私は目で見ることは苦手になりました。でもまだ手だって足だって動きます。道に迷ったら、「すみません」って声を出して誰かに尋ねることもできます。

見えなくても工夫して、訓練をすれば一人でできるようになることはいくらでも増やせる。だから見えないっていうことは、自分の夢や目標を諦める理由にはならない。それを私はこの学校で教えてもらいました。

 

ゴールボールとの出会い、挑戦、そして金メダルへの夢 

2004年、アテネオリンピック・パラリンピックが開催されました。ここでパラリンピック・ゴールボール女子チームが銅メダルを取りました。私はそれをテレビで見ていました(画像は見えないので、音を聞いていたのですが)。

目の見えない人がボールを取ったり投げたり、コートの中を自由に動き回っている。目が見えなくても全身で自分自身を表現して頑張っている。その姿を見て本当に感動しました。私もあんな風に輝いてみたいと思ったのです。

私は、「やってみたい!」という強い想いを伝えに行きました。ゴールボールのクラブチームに足を運んでコーチに伝えたのです。

最初は、「君はあまり体力がなさそうだね」と言われました。体重は今より10Kg程軽く、1.25Kgのボールをぶつけられたら骨折するんじゃないかというぐらい細かったのです。実際、海外遠征で戦うと、相手は体格もいいですし、ものすごいスピードで投げてくるので、5対0とか7対1とかで大敗しました。でも、「絶対に諦めない」と思いました。パワーで勝てなければ、チームワークで勝てばいい。「一人一人がつながるチームワーク」は世界に誇れる私たちの強みです。仲間のミスは自分のミス、チームのミスは自分のミス、と思えるところに日本チームの強さがあるのです。

そして、そのチームワークがロンドンの金メダルにつながりました。「一歩踏み出す勇気」「絶対に諦めない」強い思いが、パラリンピック金メダルという夢を現実にしたのです。 

私の夢はロンドンで終わりではありません。次のリオに向けて再スタートしました。

ただ、残念ながら昨年のリオパラリンピックでは世界の攻撃力がさらに上がっていました。日本のディフェンスシステムを分析されて、力及ばず5位という悔しい結果ででした。
「勝ちに不思議な勝ちはあり、でも負けに不思議な負けはなし」、野村克也元監督の名言です。

負けた時というのは、絶対に何かしら原因があるはずです。でも、その原因こそが次の成長につながる大きなヒントになるのです。

だから私は、2020年東京パラリンピックでの金メダル奪還を次の大きな目標に設定し直しました。



 
 

「ありがとう」と言ってもらえるような存在になりたい 

最後に、私たち日本チームが、これだけはやろうと決めて取り組んでいることを2つ紹介します。

1つ目、それは「笑顔で元気に挨拶と返事をする」ということです。凡事徹底です。キーワードは「笑顔」。私のコーチは、いつも言います。「勝利の女神はニコニコ笑顔が好きなんよ。負けて悔しくて涙を流すことも大事。だけどキツいけど、今だからこそ歯をくいしばって笑顔で頑張れ!」と。自ら笑顔でいることで、うれしいことを掴みにいく。「笑顔で元気に挨拶と返事」を徹底しています。

2つ目は、「感謝の気持ちを持つ。そしてそれを言葉にして伝える」ということです。私は目が悪くなって、いろんな場面でいろんな方々にサポートしていただきます。その度に「すみません。ありがとうございます」と言い続けて来ました。自分はずっと「ありがとう」って言う側だろうなと思っていました。だけど金メダルを頂き、応援して頂いた方々にご報告に行きますと、「ロンドン見たよ。頑張ったね。勇気をもらったよ。ありがとうね」って、私が言われました。こんな私でも誰かの元気の源にちょっとでもなれた。誰かの役に立てるってこんなにもうれしい。そして、もっともっと期待以上のことをやり抜きたい。そんな風に思うようになり、私自身が元気を頂きました。

これからも「ありがとう!」って言ってもらえるような存在になっていきたいと思います。 

現在は、シーズアスリート(athlete.ahc-net.co.jp)というところに所属しています。私たちは普段、午前中はお仕事で午後は練習・トレーニングに行かせていただくという恵まれた環境の中で活動させてもらっています。そして、私達選手の仕事面のサポートをしてくれる事務局がいます。たくさんの方々に支えていただいて私たちは2020年東京パラリンピックでの金メダル奪還の目標を掲げてこれからも頑張ります。ぜひ、ゴールボールをはじめ、いろんなパラリンピックの競技にもご興味いただけたらありがたいです。

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